「のどあめ退場」に表れている、日本特有の病的で息苦しい〝閉鎖的(排他的)な空気〟

●〔のどあめをくわえていただけで退場させられる〕

今年9月28日に行なわれた熊本市定例市議会において、のどあめを口にくわえたまま登壇した女性議員が退場させられたという問題が以前ニュースになりました。このニュースを見た瞬間私は、日本特有の「 横(村)社会」と「縦社会」の縛りから生じる病的で息苦しい〝閉鎖的(排他的)な空気〟の犠牲者に、この女性議員はなってしまったなと痛感しました。

日本特有のこの空気については、前回のブログ(「最低・最悪の安倍政権がいまだに倒れない根本原因はこれだ!」)でも詳しく説明したとおりです。が、この空気についてあらためて説明するまえに、今回ののどあめ退場の経緯と、海外の反応を以下に引用します。

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●〔のどあめ退場までの経緯〕

まず、議会場における質疑の際に、女性議員がのどあめを口にくわえたまま登壇しようとした際の議長と女性議員のやり取りは次のとおりです。

議長:「なにか口にくわえておられますか?」

女性議員:「龍角散のどあめをくわえております」

議長:「議場の場でそういうことはできませんから、皆さんに一回断ってください」

女性議員:「のどを痛めておりまして、皆さんにお聞き苦しくないように、咳が出ないようにのどあめを舐めております」

すると、このやり取りを聞いていた議員らのなかから直ちに、「関係ないよ!」「ダメダメ!」「ルールはルールだ!」といった怒号が飛び交いました。

しかも、議長はここで質疑を一時中断し、議員に対する懲罰特別委員会まで開きました。そして、「謝罪を求めるべきとの意見が出ている」とのことで、女性議員に謝罪を求めました。

しかし、女性議員は「風邪の症状がございます。咳が出ないようにと思いまして、のどの薬を口に含んでおりました」と弁解しました。

委員長は「謝罪をなさるか、なさらないか、この一点でございます」と述べ弁解には応じませんでした。

それでも女性議員は、「謝罪をしなければいけない行為だとは考えておりません」と答え謝罪に応じませんでした。

すると委員長は、議会の品位を損ねたとして、女性議員に対し出席停止の懲戒処分を行ない、女性議員を退場させました。

●〔イギリス人の反応〕

この女性議員を巡っては、昨年、生後7か月の長男を連れて議場入りし厳重注意を受けたという経緯があります。それもあるからなのかもしれませんが、しかし、それにしても今回ののどあめ退場は、行き過ぎの感は否めないわけです。特に、海外の反応はこうした日本の対応について否定的な見方をしています。イギリスのメディアでは、「融通が利かないエチケットや規則、上下関係でがんじがらめにされた社会を浮き彫りにした」と日本を評しています。また、イギリス国民の反応は以下のとおりです。

「全くもってバカげている。日本が信じられないほど時代遅れに見えてしまう」

「去年、メイ首相が政策スピーチ中にのどアメ舐めてたしイギリスでは問題にならないよ」

「僕らから見れば極端だ。世論が黙ってないでしょうね」

「極めて日本的だね。休暇を取るときに申し訳ないとか、病気で会社に行けなくてすみませんとか日本人は礼儀正しいしきちんとしている。でも、もうちょっと緩くなってもいいんじゃない」

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●〔〝横(村)社会〟と〝縦社会〟との縛りが複雑に絡み合う日本社会〕

以上のとおり、海外の否定的な反応を見ると日本がいかに閉鎖的(排他的)であるかがわかります。それにしてもなぜ日本はこうなのか。それは前回のブログ(「最低・最悪の安倍政権がいまだに倒れない根本原因はこれだ!」)でも説明したとおり、これもやはり日本のこれまでの環境や文化が影響しているのです。

前回のブログでの説明をあらためて整理したうえで結論からいうと、日本の環境や文化によって日本人が強い影響を受けているのは、大きく次の二つの縛りなのです。

①「地理(島国・農耕民族)」と「聖徳太子の教え」から受けた〝横(村)社会〟の縛り

②「非民主的な軍隊式教育」と「儒教」から受けた〝縦社会〟の縛り

<〝横(村)社会〟の縛りについて>

まずは、①〝横(村)社会〟の縛りについて説明します。

日本人は島国に生きる農耕民族であることからも、まさに〝ムラ社会〟といえる閉鎖的(排他的)な環境に先祖代々が生きてきました。アメリカのように考え方の異なる民族が集まる社会であれば、意志の疎通や議論が必要になりますが、日本のように気心の知れた同一民族の集まりであれば、意志の疎通や議論はさほど必要ではないため、それよりは、暗黙の了解・同調・一致団結といったもののほうが重要になってきます。日本人は昔から、相手の気持ちを読んだり、集団で力を発揮したりするのに長けているのはまさにその表れだといえます。

しかも、もともとそうした土壌である日本において、さらに聖徳太子が、「和をもって貴しとなす」という教えを説きました。これも日本の村社会的傾向性をさらに後押ししました。この教えは本来「異なる意見を出し合って調和に導きなさい」というような意味を含んでいるのです。が、なにぶん日本はもともとが村社会であるため、日本人はこれを拡大解釈してきたきらいがあるのです。つまり「反対意見を出すことは調和を乱すことにあたる」「空気を読んで周囲に同調することが調和である」というふうにです。

もともと日本人はそうした傾向性をもっているわけですが、さらに問題なのは、近年はこの傾向性に、より拍車がかかっていることなのです。学校・会社・団体・サークルといったあらゆる集団内において日本人は、「コミュニケーション力が重要」「協調性が大事」「空気を読みなさい」といったようなことを社会全体から輪をかけて言われるようになっているのです。これはおそらく身も蓋もない言い方をすれば、現在のグローバル社会(=弱肉強食の超管理社会)では、そうした理不尽な管理社会を批判せずに、上司から言われたことだけに従って黙々と働く従順な人材が求められます。ゆえに、近年は国民をそうやって飼い慣らすために社会全体が協調性を過剰に強調してくるのだと思います。

それでなくても、「地理(島国・農耕民族)」と「聖徳太子の教え」の影響を強く受けている日本人は「反対意見を出すことは調和を乱すことにあたる」「空気を読んで周囲に同調することが調和である」といった調和に対する過剰な意識をもっているわけです。そこに輪をかけて調和を強調してくるものですから、近年は、日本人のそうした認識が異常なまでに研ぎ澄まされているのです。少しでも空気を乱したら、その集団・組織から抹消されてしまうまさに、〝KYアレルギー〟とでもいえるような異常な空気が日本中を張りつめているのです。

というわけで日本人は、「地理(島国・農耕民族)」と「聖徳太子の教え」、この二つの影響をもともと強く受けているということなのです。が、これは要するに、近年の過剰な空気とも相まって〝横(村)社会〟への服従を強いられる風土に日本がなっているということなのです。

<〝縦社会〟の縛りについて>

続いては、②〝縦社会〟の縛りについて説明します。

日本は昔から、非民主的な軍隊式教育を取り入れています。つまり、規則・ルールといったものを上から一方的に押し付けて権威や権力者に服従させるようなスタイルの教育です。これは勉強そのものも同様です。教科書に書かれてあること(正解だけ)を上から一方的に押し付けて丸暗記させるという教育スタイルです。日本の学校はそうやってなにからなにまでトップダウンですから、下(生徒)から上(先生)に意見を述べるということは当然求められません。と同時に、①で述べたように日本はもともと村社会ですから、周囲と議論を交わすというようなことも軽視されています。ですから議論の仕方を教えることも当然しないわけです。

そのめたか実際、日本人は意見を求められても答えるのが苦手ですし、議論も苦手です。それはもちろん、子どもだけではなくおとなもそうです。民主主義国として、「民主主義教育」を意識的に行なっているアメリカやヨーロッパと比べて日本は、そうしたところも含めてすべて真逆だということからしても、いかに日本が非民主的な教育であるかがわかります。

それから次は「儒教」の影響についてですが、これは前述の「軍隊式教育」と重なるところがあります。日本の学校では、前述のとおり先生と生徒の縦割りが厳しいわけですが、そればかりではなく、先輩と後輩の縦割りも非常に厳しいわけです。学校の部活動などを見るとそれはよくわかります。歳が一つ上か下かという違いだけなのに、厳格に先輩・後輩という格付けがされていて、後輩は先輩には逆らえません。社会人になるとそこまで厳格ではないものの、それでもやはり年長者に対しては敬意を払うことが求められます。特に会社などでは年功序列が採用されているのもまさにその表れです。このように日本人が縦社会の秩序や礼儀に非常に厳しかったりこだわったりするのは、そもそも日本が〝儒教〟の影響を強く受けているゆえんなのです。

というわけで日本人は、「軍隊式教育」と「儒教」、この二つの影響を強く受けているということなのです。が、これは平たくいうと、要は、「ルール」「規則」「年長者」「権力者」といった〝権威や権力〟すなわち、〝縦社会〟への服従を強いられる風土に日本がなっているということなのです。

●〔二つの縛りが織り成す病的で息苦しい閉鎖的(排他的)な空気〕

〝横(村)社会〟と〝縦社会〟についての説明は以上ですが、これまでの説明からもわかるように、この二つの縛りを日本人全員が受けているということ。換言すれば、これら二つへの服従を日本人は意識的にせよ無意識的にせよ強いられているということなのです。そして、さらに重要なことは、「縦社会 : 権威・権力(ルール・規則・年長者・権力者など)」への服従と、「横(村)社会 : 周囲の目」への服従という、この二つの縛りが複雑に絡み合っていることによって、日本社会には非常に病的で息苦しい〝閉鎖的(排他的)な空気〟が蔓延しているということなのです。

というわけで、日本人が病的で息苦しい〝閉鎖的(排他的)な空気〟のなか、服従を強いられている具体例をいくつか簡単に箇条書きします。以下は、会社に関する内容が多いのですが、これは私が実体験してきたことでもあるため、自信をもって言えることなのです。これが日本の会社の平均的な実態であることは多くの日本人が口をそろえて言っていることです。

①車がまったく通っていない夜間の赤信号でもまじめに止まって待っている。人が見ていなくてもそうなのだが、人が見ている場合はなおさらその傾向が強くなる。

②特に会社では、社員全員が同じ制服・制帽・安全具の着用を求められたり、「ルール」や「規則」の順守を強く求められたり、なにかあるとすぐにルールや規則を設けてきたりなど、とにかく会社は「ルールは絶対だ」といった調子で押し付けてくるので、社員はルールや規則にがんじがらめにされてしまう。たとえおかしいルールだと感じても、社員は黙々とそのルールに従わねばならない。また、ルールを破ると上司(会社)からだけでなく、周囲からも酷く責められる。

③特に会社では、相手(同僚・上司・会社)の意見または方針に反論したり、悪い点を指摘(批判)したりすることがとてもはばかられる。へたに批判すると、議論を知らない日本人は感情論に発展してしまう。またそうした風土であるゆえに、批判しただけで、〝協調性がない社員〟というレッテルを貼られて人事評価でマイナスを付けられてしまう。

④会社の「成果主義(能力主義)」とは名ばかりで実際は、〝強調性〟と、上司の好き嫌いでほとんど評価されてしまう。しかも、その協調性や好き嫌いも、仕事でいくら強調性を発揮して成果を出したとしても、③で述べたように、上司や会社への批判が一つでもあれば相殺されマイナスにされてしまうという理不尽さが常につきまとっている。

⑤特に仕事が忙しいわけではなくても、忙しいふりをして働き、さらにサービス残業をして会社に奉仕しなければならない。また、周囲が残業(またはサービス残業)をしているときに自分ひとりだけ帰ると、周囲から冷たい視線を浴び(ひとりだけ浮いてしまい)しまいには会社に居づらくなってしまう。ゆえに、自分もしぶしぶ残業にほぼ毎日つき合わねばならない。(日本は残業を含む労働時間に対しての生産性が低い。)

⑥会社から有給休暇をたくさんもらっているにもかかわらず、そのほとんどが使えない。その理由は、会社や同僚に迷惑がかかるからというもの。しかし本音は、⑤と同様、会社や周囲への忠誠の意志表示をないがしろにすると、会社に居づらくなってしまうため。ゆえに、病気や法事など、どうしても休まざるをえないときに必要最小限に使うだけ。しかもそのときでさえ、まえもって「明日は私用のために休まさせていただきます。大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と非常に丁寧な断り文句を添えて上司だけでなく同僚全員にメールを送っておく必要がある。(日本は有給取得率が世界で最下位。)

⑦特に会社では、べつに親しいわけではないのに、仕事で関わっているからというだけの理由で、結婚式に招待されたり、相手の身内の葬式に参列したりしなければならない。また、会社で毎日顔を合わせているにもかかわらず、同僚や上司に毎年、年賀状を送らねばならない。

⑧仕事をする第一の目的は、健康的で豊かな生活を維持するためであるはずなのに、日本では仕事による「過労死」「過労自殺」「うつ病の発症」といった本末転倒な現象が近年特に増えている。これは、特にうえの②~⑦に挙げた日本特有の空気が多分に影響していると思う。

⑨東日本大震災の際、日本人は世界から称賛されるほど秩序正しく行動し、犯罪などもほとんど起こさなかった。しかし本来、非常時であれば、生命維持のために、倒壊したスーパーやコンビなどから食料を勝手に調達してきて配るという行為などは許されるはず。それがなかったということは、日本人が秩序正しいというよりも、縦社会と横(村)社会の縛りに服従している(ルールを絶対視し、周囲の目も恐れている)日本人が、そういう臨機応変な行動をただ単にとれなかっただけなのだといえる。

●〔日本人はもともと礼儀正しくも奉仕的でもない〕

具体例については以上ですが、ところでこうした問題を議論すると必ず、「日本人はもともと礼儀正しく、奉仕的だ」というようなことを言い出す人がいます。それも少しはあるかもしれません。しかし、ほとんどの日本人はうえの具体例にも表れているとおり、社会の縛りにただ服従しているだけなのだと思います。日本人がもともと礼儀正しくも奉仕的でもないということは、じつは実験でも明らかになっているのです。社会心理学の本を何冊も出している山岸俊男が行なった実験によると、日本人は、周囲の目がないまったく自由にふるまうことを許された環境では、むしろアメリカ人よりも利己的にふるまうという結果が出ているのです。

実際、そのとおりなのだと思います。同じ人間なのですから、人間の基本的な性質(利己心)というものは国の違いだけでそこまで変わるものではないでしょう。だからこそ、日本では、日本社会特有の空気と本音とのギャップに心身が耐え切れずに悲鳴を上げて、うつ病を発症したり、過労死したり、過労自殺したりする人が多いのだと思います。その意味でも、日本人のこの問題はとても根が深いと同時に、日本人の苦しみの大半が日本社会のこうした空気と深く関わっているといえるでしょう。ですので、この問題については今後もちょくちょく、いろいろな具体例を取り上げながらブログで紹介していきたいと思います。

というわけで主題に戻りますが、冒頭で挙げた、のどあめを口にくわえて登壇しようとした女性議員はなぜ退場させられたのか。そのことはもう、あらためて説明することはないでしょう。冒頭に引用した、女性議員が退場させられるまでの経緯と、イギリス人の反応をあらためて見てみると、この女性議員が、横(村)社会〟と〝縦社会〟、この二つの縛りが織り成す日本特有の、病的で息苦しい〝閉鎖的(排他的)な空気〟の犠牲になったのだということをまさに実感してもらえると思います。

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