最低・最悪の安倍政権がいまだに倒れない根本原因はこれだ!

●〔最低・最悪な安倍政権がいまだに倒れない二つの原因〕

これまでのブログでも述べているとおり、安倍政権は日本を破壊し国民を不幸にするまったくもって話しにならない政権です。そして、それ以上に驚きなのは、安倍内閣が現在でも40%台の支持率をキープしているという現実なのです。

その原因の一つは、これまでも述べているとおり、安倍によるマスコミコントロールが非常に大きいと思います。安倍の圧力と懐柔によって自己保身に走るようになったNHKをはじめとした大手マスコミは、安倍が発した口先だけの美辞麗句やスローガンを新聞・テレビ・ネットなどで無批判に垂れ流し、安倍の悪政をほとんど批判しなくなりました。これでは支持率が落ちないのはあたりまえなのです。

しかし、かりにそうであるとしても、国民がそうしたマスコミの表面的な報道を鵜呑みにせずに、しっかりと自分から政治に関心をもって情報を収集すれば、安倍がいかに酷いかがわかるはずなのです。その意味でも、これはマスコミの原因というよりも、そもそも国民一人ひとりの政治への無関心さ、すなわち〝政治民度の低さ〟に原因があると言わざるをえません。

ただ、〝政治民度の低さ〟というのは、特に日本人の場合は、「政治への無関心」だけではないのです。じつは、「調和の意味のはき違え」というのも大きく関わっていると思うのです。というわけで、この二つがどういうものなのかを以下に説明します。

●〔「政治への無関心」について〕

<特に若者ほど政治に無関心>

まずは「政治への無関心」についてです。そもそも日本人は、アメリカやヨーロッパなどの民主主義国の人たちと比べて政治に無関心だと言われています。それは投票率の違いにも表れているとおりです。そして、その無関心さは、特に若者にその傾向が強いといえます。若者が政治に無関心であることは、下に引用した、街頭インタビューでの若者(女性)のコメントに端的に表れています。この街頭インタビューの模様は、今年10月17日に放送された、TBSのBS報道番組である「報道1930」内において、立憲民主党の枝野幸男がゲストに招かれているなかで公開されたものです。

Q.「 立憲民主党を知っている?」

若者「名前だけ聞いたことある」

Q.「枝野さん、知っている?」

若者「自民党とかが決めたことに『いや、それはさぁ』みたいな文句が多そうだから、そこまでケチつける必要はないんじゃないかと思う。決めたことに対して反対意見もあるだろうけど、そういうところじゃないのかなぁっていう」

Q.「それは反対しているだけに見えるっていうこと?」

若者「そうです。ふつうに考えて文句つけてる人たちを応援しようとは思わなくないですか。なんにでもケチつけても決まるものも決まらないだろうし」

マイク マイクロフォン ハンドマイク 有線 コード シルバー メタリック 手 片手 右手 手首 素肌 つかむ 持つ 握る 向ける かざす 拾う 音響 音声 サウンド オーディオ 機器 発表 司会 インタビュー ハンドポーズ ポーズ ハンドパーツ パーツ 白バック 白背景

以上ですが、このインタビューは当然、何人もの日本人を対象に行なった結果、最大公約数的な意見を示したこの若者をあえて紹介したのでしょう。この発言からも、この若者が政治に無関心であることが一目でわかります。特に「野党は批判ばかりしている」という意見がそうです。彼女らが、与野党の国会討論の一部をニュースなどでたまに見ているだけでしかないことは明らかです。実際に行なわれている国会中継をはじめ、今日に至るまでの安倍政権の言動(横暴)をつぶさにチェックしていれば、こうした軽口は叩けないはずだからです。

下に添付した表は、朝日新聞が今年9月に発表した、年代別による安倍内閣支持率です。これを見ると、どの年齢層も支持・不支持が拮抗していることにまず驚くのですが、そのなかでも特に若者の支持者が多いことに驚きます。前述のとおり、安倍政権の実態(横暴)を見ればこういう支持はありえませんから、これなどもまさに日本人(特に若者)の政治への無関心さが端的に表れていると思います。

イメージ 7

<非民主的な軍隊式教育と儒教の影響が日本人を政治から遠ざけている>

前述のとおり、日本人はアメリカやヨーロッパと比べて政治に無関心であり、特に若者にその傾向が強いわけですが、なぜ日本人はそうなのか。これは大きく二つの要因が重なっていると考えられます。一つは、日本では〝民主主義教育〟が行なわれていないということ。もう一つは、日本人が〝儒教〟の影響を強く受けているということです。

まず一つめの「民主主義教育が行なわれていない」について。アメリカやヨーロッパでは、民主主義国として、国民が主体性をもって生きられるような学校教育を幼少の頃から行なっています。また、「選挙」だげでなく「デモ」といった政治へのリアルな関わり方も教えています。それに比して日本では逆に、非民主的な軍隊式の教育によって、子供から主体性を奪い、権力者に服従させるような育て方をしています。政治への関わり方も教えないだけではなく、逆に、政治から目を逸らさせるような教育になっているわけです。

それから二つめの「儒教の影響」について。日本の学校では昔から先輩と後輩の上下関係が厳しかったり、また会社でも年功序列が採用されていたりなど、礼儀や縦社会の秩序といったものに非常に厳しかったり、こだわったりするところがあります。これらは、そもそも日本人が〝儒教〟の影響を強く受けている表れなのです。が、このように、自分よりも目上の者や権力者を尊重するという意味では、これも学校教育と同様に、権力者への服従を仕向けるような風土に日本がもともとなっているといえるわけです。

というわけで結論としては、「学校教育」と「儒教」という大きくこの二つの要因によって、「お上に任せておれば大丈夫だろう」といった〝お上信仰〟みたいな意識が日本人には昔からあるのです。要は、そうした意識がひいては〝政治への無関心〟となって表れ、さらには投票率の低迷にもつながっているのだ、というわけです。

●〔「調和の意味のはき違え」について〕

<特にいまの若者は「批判」をネガティブに捉えている>

以上、日本人の政治民度の低さの要因の一つめである、「政治への無関心」について説明しました。続いては、二つめの要因である「調和の意味のはき違え」について説明します。これについては、先ほど「野党は批判ばかりしている」と答えた若者の例を引いたわけですが、この話と重なります。じつは、日本人はもともと昔から批判をネガティブに捉えている傾向があり、近年は特に若者にそうした傾向が強まってきているのです。そのことについては今年7月20日に放送された、テレビ朝日の「報道ステーション」のなかで、ハフポスト日本版編集長の竹下隆一郎も次のようにコメントしています。

「20代の若者を取材していると、野党の皆さんの批判をすることに対するすごいアレルギーがある。ふつう野党の皆さんは批判することが仕事の一つですし、批判を通して議論をして建設的な民主主義をつくろうという目的なんですけど、批判をしている人はなんかいつもイチャモンを付けている人っていうふうに特に若い人とか思うみたいです。これは政治の世界もそうなんですが、結構ビジネスの世界でも学校の現場でも議論とは悪いことで、空気を壊してしまうことだという、そういうネガティブな印象があるみたいで、なかなかこれは根深い問題だと思いますね。ただ、ずっと見ていくと、いまの若い人っていうのは、小さいときから例えばAO入試だとかコミュニケーション力が重要ですよとか、強調性が大事です、空気を読みなさいというふうに育ってきた人たちなので、激しく野党みたいに攻撃している人をみると、なんでそんなに文句を言っているのだということで、なかなか野党に支持が集まっていないと、そういう現象が起きているのだと思います」。

<拡大解釈と飼い慣らしによる「調和」の意味のはき違え>

なぜ、特にいまの若者はそうやって「批判」をネガティブに捉えているのか。じつはこれもやはり、日本人がこれまで育ってきた環境が影響しているのです。どういうことか。

島国かつ農耕民族である日本は昔から「ムラ社会」と言われるように、閉鎖的な環境に生きてきたわけです。アメリカのように考え方の異なる民族の集まる社会であれば、議論が重要になりますが、日本のような同一民族の集まりであれば、議論ではなく、暗黙の了解・同調・一致団結といったもののほうが重要になってきます。そうした日本において、さらに聖徳太子が、「和をもって貴しとなす」という教えを説きました。これも日本のムラ社会的傾向性にさらに拍車をかけました。この教えは本来「異なる意見を出し合って調和に導きなさい」というような意味を含んでいるのです。が、なにぶん日本はもともとムラ社会であるため、日本人はこれを拡大解釈してきたきらいがあるのです。つまり「反対意見を出すことは調和を乱すことにあたる」「空気を読んで周囲に同調することが調和である」というふうにです。

聖徳太子 に対する画像結果

しかも、前出の竹下のコメントにあるように、近年はそれに加えて社会全体から「コミュニケーション力が重要」「協調性が大事」「空気を読みなさい」といったようなことを輪をかけて言われるようになっているわけです。グローバル社会(=超管理社会)では、組織を批判しない従順な人材が求められます。だから近年は国民を飼い慣らすためにそうやって協調性を過剰に強調してくるのでしょう。要は日本人が先祖代々受け継いできた調和の意味の拡大解釈に加えて、近年のそうした飼い慣らし(協調性の過剰な強調)によって、特に最近の日本の若者は「批判」をネガティブに捉えるようになっているのだ、というわけなのです。

先祖代々からの拡大解釈にせよ、飼い慣らされているにせよ、調和の意味をはき違えて、「批判」をネガティブに捉えるのはいずれにしてもおかしな話です。ましてや野党が与党を批判している場面を国民が見て、それをダメだというのは、そもそも政治のなんたるかもわかっていない証左だといえるわけです。ですから要は、日本人のそうした「調和の意味のはき違え」、これもまさに日本人の政治民度の低さの要因である、というわけなのです。

●〔なかなかこれは根深い問題〕

以上、最低・最悪の安倍政権がなぜいまだに倒れないのかということで、その根本原因を見てきました。日本人の〝政治民度の低さ〟すなわち「政治への無関心」「調和の意味のはき違え」、この二つに根本原因があるということでした。

安倍政権がいまだに倒れない理由として、巷ではよく「野党がダメだから」「民主党の失敗のイメージがあるから」「ほかに代わりがいないから」「世界的に右傾化しているから」「いまは強いリーダーが求められているから」「株価が上がったから」「求人が増えたから」といったようなことを言う人もいるわけです。が、それらはあくまで二義的な理由でしかないと私は思っています。なぜなら、それらはべつに安倍でなくても代用が利きますし、そもそもそれらの認識には勘違いが多く、よくよく考察すると、安倍の行なっていることのほとんどは日本を破壊し大半の国民を不幸にすることだからなのです。そのような安倍をいつまでも支持し続ける日本人はまさに盲目としか言いようがありません。要は、そうした意味でも、安倍政権がいまだに倒れないのは、日本人の〝政治民度の低さ〟、これがどうしてもやはり一義的な理由になる、というわけなのです。

ただ、そうであれば、たとえ今後、安倍政権が倒れて首相が代わったとしても、今後もまた大同小異の政治展開になる可能性は大きいです。その意味でも、前出の竹下隆一郎のコメントを拝借していえば、〝なかなかこれは根深い問題〟だといえます。

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