一枚の写真「焼き場に立つ少年」に凝縮されている戦争の悲しさと虚しさ

●〔〝お花畑〟〝平和ボケ〟はネトウヨの方である〕

前回、前々回のブログで私は、安倍が、アメリカを含むすべての国と戦争できるように日本を列強国家にしたり、列強国家のリーダーを目指したりしているという趣旨を述べました。これまでにも述べてきたとおり、これらはまさに恐ろしいことです。にもかかわらず、世の中にはどうもそうは思っていない連中が一定数存在しているという事実があるわけです。特に近年、インターネットで、日本の安全保障や改憲に関する情報を検索していると、護憲派や反安倍派に対して〝お花畑〟〝平和ボケ〟と揶揄する、おそらくネトウヨのものと思われるブログや動画がよく出てきます。

そうした現実が安倍政権になってから長らく続いているのですが、ただ、これらを目にするたびに私がいつも思うことがあるのです。それは「あなたたちの方こそ〝お花畑〟〝平和ボケ〟ではないか!」という憤りとも滑稽さともつかないなんともいえない思いです。というのも、彼らは自分たちのことを戦争から逃げも隠れもしない現実的かつ勇気ある人間だと内心で自慢しているから、護憲派や反安倍派をそうやってからかうわけなのでしょう。ところが、いま現在リアルに戦争をしている地域では、ほとんどの住民が、「戦争はいけないことだ。戦争は止めるべきだ」と必死に訴えているからなのです。

つまり、この事実からもわかるとおり、ネトウヨは結局なにもわかっていないのだと思うのです。戦争のほんとうの恐ろしさ、悲しさ、虚しさ、人間の怖さ、狂気といったものを知っているなら、少なくともそういう言葉は出てこないはずだからです。要するに、戦後70年が経ち、彼らはこれまで長い間、平和な日本でのんびりと暮らしてきたゆえに、そうしたところのリアルな実感が伴っていないのでしょう。だからこそ護憲派や反安倍派を平気でからかえるわけなのです。その意味でも彼らの方こそまさに〝お花畑〟〝平和ボケ〟であるというわけです。

●〔一枚の写真に凝縮されている戦争の悲しさと虚しさ)

じつは、戦争の悲しさ、虚しさを知るうえで、最近ネット上などにも出回っている一枚の写真があります。それは「焼き場に立つ少年」と題された写真です。戦争で亡くなった幼子を裸足でおんぶして焼き場のまえで順番待ちしている少年を写したものです。昨年(2017年)末にローマ法王フランシスコが、この写真を世界に発信するようにと呼び掛けたことがきっかけのようです。写真の裏には、法王の署名とともに「戦争が生み出したもの」という法王の言葉が記されているらしいのですが、私はこの写真をネットで初めて見たときに思わず涙が出ました。それぐらいこの一枚の写真には、戦争の悲しさ、虚しさがすべて凝縮されています。

それから、あとで知ったのですが、この写真の撮影者は、以前にインタビューを受けてコメントしています。そのコメントを読んだ私は、写真に写っている少年が私の想像以上に無念さを噛みしめていたのだと知り、あらためて涙が出てきました。

「焼き場に立つ少年」と題されたその写真と、撮影者のコメントをここに添付します。護憲派や反安倍派をからかう連中は、この少年の目を見て同じことが言えるのでしょうか。もし言えるのだとしたら、それはやはり安倍と同様にすでに病気なのだと私は思わざるをえません。

報道写真家 ジョー・オダネル撮影 「焼き場に立つ少年」 (1945年長崎の爆心地にて)

佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
すると、白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は、60センチ程の深さにえぐった穴のそばで、作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は、当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。
しかも裸足です。
少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。
男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。
それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。
その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました。

(インタビュー・上田勢子)[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]

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