調子に乗り過ぎて休刊に追い込まれた「新潮45」と、小川榮太郎の病的異常性

●〔調子に乗り過ぎて休刊に追い込まれた「新潮45」〕

以前から、自民党の杉田水脈が「LGBT」に対する差別発言を繰り返して炎上しています。そうしたなか、新潮社が「新潮45」の今年(2018年)8月号に、杉田が寄稿した「『GLBT』支援の度が過ぎる」を載せました。杉田の主張の主旨はこうです。「子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」。

これがまた非難にさらされたわけですが、すると新潮社は今度はさらに、杉田水脈への非難に反論する特別企画(「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」)なるものを同誌の10月号に載せました。発行部数が低迷していることもあって、右寄りの論考を載せると売れ行きがよいことから、近年はそうした路線で来ていたようなのですが、調子に乗り過ぎたのでしょう。度重なるGBLTへの差別発言と、10月号の行き過ぎた表現に対して書店や作家などから反発が強まり、結局「新潮45」は休刊にまで追い込まれてしまいました。新潮社による休刊および謝罪のコメントは以下のとおりです。

          「新潮45」休刊のお知らせ

弊社発行の「新潮45」は1985年の創刊以来、手記、日記、伝記などのノンフィクションや多様なオピニオンを掲載する総合月刊誌として、言論活動を続けてまいりました。
しかしここ数年、部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていたことは否めません。その結果、「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」(9月21日の社長声明)を掲載してしまいました。このような事態を招いたことについてお詫び致します。
会社として十分な編集体制を整備しないまま「新潮45」の刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込めて、このたび休刊を決断しました。
これまでご支援・ご協力いただいた読者や関係者の方々には感謝の気持ちと、申し訳ないという思いしかありません。
今後は社内の編集体制をいま一度見直し、信頼に値する出版活動をしていく所存です。

2018年9月25日
株式会社 新潮社

●〔小川榮太郎の病的異常性〕

新潮社はこのように謝罪をし休刊まで発表したわけですが、当の寄稿者である杉田や、その他の執筆陣らは、まったく反省していないどころか、休刊に追い込まれたことに対して理不尽とすら思っているでしょう。彼らの主張をみるとわかるのですが、うえの新潮社の謝罪のとおり、〝あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現〟になっているからです。こうした考え方はそう簡単に変わるものではありません。

杉田への非難に反論する特別企画(「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」)には7人の論客が寄稿しているのですが、特にそのなかの小川榮太郎の発言は異常です。GBLTを「性的嗜好だ」と断言したうえに、次のようにまで主張しているからです。「満員電車に乗ったときに、女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう。そういう痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深かろう。彼らの触る権利を社会は保証すべきではないのか」。

要するに小川は、杉田のGBLT差別発言を擁護(正当化)するために、そのように行き過ぎた主張を展開したのでしょうが、しかしこれこそまさに〝あまりにも常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現〟以外のなにものでもありません。

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ただ、小川がなぜこのように常識を逸脱してまで杉田を擁護するのかを考えると、その裏にはGBLTへの偏見と同時に安倍政権を護りたいという強い思いがあるからなのでしょう。小川はそもそも安倍ヨイショ本をいくつも執筆していることからも明らかなように、バリバリの安倍シンパです。シンパというよりも、安倍に完全に洗脳されてしまっている男だと言ったほうが妥当かもしれません。なぜなら、国民無視、憲法無視、ルール無視、縁故政治(モリカケなど)といった数々の安倍の暴政に対して小川は批判しないどころか、そうした安倍を擁護し褒めたたえるばかりだからです。

今回の痴漢正当化発言などもまさにそうです。このような暴言を吐いてまで安倍を護ろうとするということは、これはすでにカルト宗教に洗脳された信者と同じであり、まさに病気としか言いようがありません。ゆえに要は、前述のとおり「新潮45」が休刊に追い込まれたことを、特に小川は反省するどころか逆に理不尽だとすら思っているだろう、というわけなのです。

●〔「優生思想」と同根のGBLT差別発言〕

ところで、杉田の「GBLTは生産性がない」発言と、それに対する小川らの擁護発言がそれぞれ問題だといえる根本理由はなんなのでしょうか。それはまさにマイノリティへの差別にあります。前述のとおり小川はGBLTを「性的嗜好」だと切り捨てたわけですが、しかしGBLTは好きでそうなった者ばかりではないわけです。かりに、興味本位でなっている人がいたとしてもそれは個人の自由だし、そもそも一部の人たちでしょうから、それで国が亡びるほどのことではありません。もちろんGBLTを積極的に推奨・支援する必要もないとは思いますが、しかし彼らをことさら犯罪者のように扱うのもどうかと思うわけなのです。杉田や小川の発言はまさに彼らを犯罪者であるかのように見ているふしがあるのですが、そういう見方をすることの弊害のほうが逆に大きいと私は考えるわけなのです。

というのも、杉田の「GBLTは生産性がない」発言が炎上した際によく引き合いに出された事件に、2016年7月に起きた「障碍者施設殺人事件」があります。加害者は事件を起こすまえから、「障害者は周りの人を不幸にする。いないほうがいい」などと主張していました。園側が「それはナチスの考え方と同じだよ」と諭しても、「考えは間違っていない」と言い張ったといいます。

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要は、この加害者も杉田と同じように、「生産性がない者は排除すべきだ」という思想をもっていたわけです。これはまさしくナチスの「優生思想」そのものです。この思想は、障害者などの病人だけでなく、老人やさらには今回のGBLTにも及んでいることは理屈的にも明らかです。つまり杉田の「GBLTは生産性がない」発言はまさに優生思想と同根であり、単なる差別だで収まる問題ではありません。だからこそ看過できないわけなのです。

ただ、これほど深刻な問題が、今回の新潮45の休刊だけで収まったわけでは当然ありません。なぜなら、そもそも安倍政権そのものがGBLTに対して差別的であるからなのです。その証拠に安倍政権はいまだに杉田に謝罪させないどころか、杉田に対して「間違ったことは言っていない。胸をはってればいい」などと庇った議員もいたくらいです。そればかりではありません。2017年9月に国連で行なわれた「同性愛者の死刑を非難する決議」に対し、日本は反対までしています。決議の提案国は「死刑の廃止を義務づける決議ではない」と説明していたし、また日本は棄権することもできたはずなのにです。これにあえて日本が反対したということは、GBLTは死刑になっても仕方ないというまさに安倍政権の意志表示ではないでしょうか。

●〔安倍は国民を「茹で蛙」にしようとしている〕

以上のように、杉田や小川らだけでなく安倍政権そのものがGBLTに対して差別的なのです。そのため、昨今の安倍政権による排外主義の風潮とも相まって、この問題は収まるどころか逆に広がっていくように感じます。ただ、そのようななかでも一筋の光明はやはりなんといっても「新潮45」が休刊に追い込まれたことだと思います。日本が危険な右寄りに傾いているとはいっても、小川のような暴言・失言によって雑誌が休刊になったということは、現在の右寄りの空気がそれだけ脆かったということを表わしているからです。

ですから、逆にいうと安倍政権はもっと大胆に堂々と右寄りの発言や法案を打ち出せばいいのです。そうすれば国民から総すかんを食らって政権は一発で吹っ飛ぶからです。ただ、安倍はそれをわかっているからこそマスメディアなどをうまくコントロールしたり、テレビのまえで美辞麗句を並べたりして、国民をうまく騙しているわけなのです。要は、国民を「茹で蛙」にしようとしているわけであり、そこが安倍政権の汚いところであり、危険なところでもあるわけです。

これまでのブログにも書いてきたように、そうした政治をなんの臆面もなく行なえることこそまさに、安倍が国民をバカにしている証左でもあります。ですから、安倍がどうだというまえに国民そのものがもっと利口になる必要があるのです。つまり、マスコミが安倍の悪政を隠したり擁護したりするような報道をしてきても、決してそれを〝鵜呑み〟にせずに、その裏を自分の目と耳で確かめ、自分の頭でしっかり考えるということ。つまり民主主義に生きる国民として、最低でも政治に関心をもち、「クリティカルシンキンキング」をしっかり行なうということです。こうした最低限のことを国民が行なっていたら、安倍政権はとっくの昔に潰れていたはずです。

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