●〔みっともない憲法〕
前回のブログでは、安倍は国民をバカにしているという話をしましたが、今回はさらに、安倍は民主主義に生きる国民を嫌っている(憎んでいる)という話をします。
「安倍は民主主義に生きる国民を嫌っている(憎んでいる)」となぜ言えるのか。その根拠は結論からいうと、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重を謳っている日本国憲法を安倍が、アメリカから押し付けられた「みっともない憲法だ」と言って強く嫌悪しているところにまさに表れています。安倍は以前、「政治家と話そう」というネット番組(2012年12月14日に公開)のなかで次のように述べています。
「みっともない憲法、はっきり言って」安倍・自民総裁
■安倍晋三・自民党総裁
日本国憲法の前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書いてある。つまり、自分たちの安全を世界に任せますよと言っている。そして「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」(と書いてある)。
自分たちが専制や隷従、圧迫と偏狭をなくそうと考えているわけではない。いじましいんですね。みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね。そんな憲法を持っている以上、外務省も、自分たちが発言するのを憲法上義務づけられていないんだから、国際社会に任せるんだから、精神がそうなってしまっているんですね。そこから変えていくっていうことが、私は大切だと思う。(ネット番組で)
(引用元 : 朝日新聞デジタル)
これを見てまず言えることは、安倍は現憲法に対して「アメリカから押し付けられた」という意識が強いためか、憲法前文に対する解釈が非常に極端で独善的になっていることです。そのことは今回のブログの趣旨から逸れますのであえて触れませんが、要は、この発言をみてもわかるように、とにかく安倍は現憲法を強く嫌悪しているということなのです。
●〔国民主権・平和主義・基本的人権の尊重への嫌悪〕
そして肝心なことは、安倍は、現憲法をアメリカから押し付けられたことや、現憲法の全文だけを嫌悪しているのではないということです。日本国憲法の三原則である、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重、これらをそもそも安倍は嫌悪しているのです。安倍は首相という立場上、自分の口からは決してそれを言いませんが、安倍をはじめ多くの自民党議員が所属している「日本会議」という右派団体があります。その団体がそもそも国民主権・平和主義・基本的人権の尊重を強く嫌悪しているのです。実際、日本会議に所属している安倍をはじめ多くの自民党議員が参加した、「創生『日本』東京研修会 第3回(平成24年5月10日)」のなかで、当時、第一次安倍内閣法務大臣だった長勢甚遠が次のような発言をしています。下に要約して引用します。(※創生「日本」とは、安倍が会長を務める超党派の議員連盟)
「自民党の憲法草案というものが発表されました。私はあれを見て正直言って不満があります。一番最初にどう言っているかというと、国民主権、基本的人権、平和主義、これは堅持すると言っているわけですよ。この三つはマッカーサーが押し付けた戦後レジームそのものではないですか。この三つを無くさなければですね、本当の自主憲法にはならないんですよ。たとえば人権がどうだとか言われたりすると、あるいは平和がどうだとか言われたりすると怖気づくじゃないですか。それは我々が小学校からずっとずっと教え込まれてきたからですよ。それを書き直すのはなかなか大変ですよ。みんなで力を合わせてがんばりましょう」
冒頭に示したとおり、安倍はかつて、「みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね」と発言しているわけですが、前述のとおり長勢も、「この三つ(国民主権・基本的人権・平和主義)はマッカーサーが押し付けた」と言っているわけです。つまり、二人とも押し付けられたことを強調していることからも、安倍も長勢と同じように三原則に不満をもっていることは明らかです。実際、安倍がこれまで繰り返してきた憲法無視、国民無視、国会軽視、縁故主義など、すなわち民主主義の破壊ともいえる数々の暴政にそれが如実に表れているといえます。
●〔こんな人たちに負けるわけにはいかない〕
というわけで、そこがまさに肝なのです。現憲法を嫌悪している安倍は、現憲法のうえに成り立っている民主主義をそもそも嫌っているのです。また、そうであるゆえ安倍は、民主主義に乗っかって生きている国民をも嫌っているわけなのです。そのことをよく象徴しているのが、去年(2017年夏)の東京都議選の際に安倍が吐いたセリフです。安倍は、選挙演説中の自分に帰れコールをしてくる国民に向かって指を差し、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」というセリフを吐きました。
安倍が吐いたこのセリフについて評論している、文春オンラインの記事があるのですが、これを読むと、安倍が国民を嫌っている(憎んでいる)ということが理解しやすいと思いますので、下に、その記事の一部を引用します。
(前略)
投票前日の7月1日、「ホームグラウンド」とも言われているJR秋葉原駅前で、安倍首相は都議選初の街頭演説を行った。同駅前には日の丸の小旗を振る自民党の支援者が集まったが、聴衆の一部からは「安倍辞めろ」「安倍帰れ」などのコールが発生。これに対して首相は「人の演説を邪魔するような行為を自民党は絶対にしない」と怒りを露わにした。いつも国会で率先してヤジを飛ばしているのに! そして聴衆を指差しながら一際大声で言い放ったのが「こんな人たちに負けるわけにはいかない」という言葉である。
「こんな人たち」とはつまり自分を批判している人たちのことだ。都議選の前、高まる加計問題追及の声に苛立ち、「もう遠慮なんかしない。これからは何でも言いたいことを言ってやる!」と自民党幹部の前で吠えていたというが(『FRIDAY』 7月14日号)、宣言どおりの発言だったとしたらあまりに幼稚すぎる。
自分に反対の考えを持つ人々は国民ではないと思ってる
小泉純一郎首相の秘書官を務めた元参議院議員の小野次郎氏はツイッターで次のように書いている。「この方は、自分に反対の考えを持つ人々は国民ではないと思ってる。総理になって何年も経つのに、この方は全国民のために選ばれた職にある自覚は持ち合わせない、遺憾ながら」(7月1日)。
安倍首相は「こんな人たち」すなわち「敵」と認定した相手に対してやたらと攻撃的な態度をとり、身内や仲間をとても大切にしてきた。ジャーナリストの江川紹子氏は安倍首相について、「敵を批判し、嘲笑し、数の力で圧倒して、自らの強さと実行力を見せつける」ことで支持を集めてきたが、「対決型を推し進めることで、政治はますます粗雑になり、できるだけ広範な人たちの合意を得ていくという地道な努力をしなくなっていった」(Yahoo!ニュース個人 7月3日)と指摘している。
毎日新聞の佐藤千矢子政治部長は署名記事の中で、「帰れコール」が「互いに異論に耳を傾けない分断の政治を象徴しているよう」であり、「こうした政治を生んだのも、批判に不寛容な首相の姿勢が影響しているのではないか」と書いた(7月3日)。読売新聞の前木理一郎政治部長は署名記事の中で、今回の都議選の大敗を「安倍首相にとって、2012年に政権に返り咲いて以降、最大の危機」とし、「国民は首相の言葉を信じられなくなっている」と厳しく指摘している(7月3日)。
(後略)
(引用元 : 文春オンライン「“自民党の歴史的惨敗”にとどめを刺した珍言・暴言を一挙公開!『もう遠慮なんかしない!』と吠えた安倍首相だったが…大山くまお著)
安倍が民主主義および民主主義に乗っかって生きている国民を嫌っていることは、この記事を読んだだけでも一目瞭然だと思います。特にそれが表れているのは、前述のとおり、安倍が国民に向かって「こんな人たち…」呼ばわりをしたことです。
●〔民主主義に生きる国民への嫌悪〕
国民はそもそも、民主主義を破壊する数々の安倍の暴政に対して怒りを表わしていたわけです。つまり安倍自身がそもそも民主主義のルールを無視しているわけですから、安倍は批判されて当然なのです。にもかかわらず安倍はそういう国民に向かって指を差し「こんな人たち…」呼ばわりをしました。これは裏を返すと、安倍は、「自分は一切非がなく、民主主義を盾にして批判してくる国民こそが間違いなのだ」と言っているに等しいわけです。
実際、うえの記事には、都議選まえの安倍の様子についてさらにこう書いてあります。
「都議選の前、高まる加計問題追及の声に苛立ち、『もう遠慮なんかしない。これからは何でも言いたいことを言ってやる!』と自民党幹部の前で吠えていたというが…」
これなども、安倍はまるで自分が被害者であるかのごとく逆ギレしています。要するに、これを見てもわかるように、安倍は民主主義および民主主義に乗っかって生きている国民をもともと嫌っているのです。だからこそ安倍は、民主主義を盾にして批判してくる国民にはなおさら憎しみが込み上げてきて、「こんな人たち…」などという本音がついポロっと出てしまった、というわけなのです。
●〔敵を攻撃し、数の力でねじ伏せる〕
ところで、うえの記事には安倍の姿勢についてさらに次のようにも書いてあります。
小泉純一郎首相の秘書官を務めた元参議院議員の小野次郎氏はツイッターで次のように書いている。「この方は、自分に反対の考えを持つ人々は国民ではないと思ってる。総理になって何年も経つのに、この方は全国民のために選ばれた職にある自覚は持ち合わせない、遺憾ながら」(7月1日)。
安倍首相は「こんな人たち」すなわち「敵」と認定した相手に対してやたらと攻撃的な態度をとり、身内や仲間をとても大切にしてきた。ジャーナリストの江川紹子氏は安倍首相について、「敵を批判し、嘲笑し、数の力で圧倒して、自らの強さと実行力を見せつける」ことで支持を集めてきたが、「対決型を推し進めることで、政治はますます粗雑になり、できるだけ広範な人たちの合意を得ていくという地道な努力をしなくなっていった」(Yahoo!ニュース個人 7月3日)と指摘している。
ここには、安倍の姿勢について「自分に反対の考えを持つ人々は国民ではないと思っている」「『敵』と認定した相手にはやたらと攻撃的な態度をとる」と書いてあるわけです。が、これを見て思い出したのが、以前の私のブログ(「総裁選に先立って知っておきたい安倍の残虐性・非人間性・執念深さ・卑劣さ」)のなかで紹介した古賀茂明と室井佑月との対談です。
この対談のなかで古賀は、「安倍は、国会議員や官僚やマスコミなどに対して『敵』と見なしたらどこまでも執拗に攻撃する」みたいなことを述べていました。このことからも、安倍はどうやら、こうした公人やマスコミだけでなく、一般市民に対してまでも容赦なく敵意をむき出しにしてくる、ということがわかるわけです。
ところで、安倍が敵意をむき出しにしてくる「自分に反対の考えを持つ人」というのは具体的にどういう人なのでしょうか。これまでの考察からもわかるとおり、それは端的にいうと、独裁(強権)の安倍とは反対の立場の人のことです。国会議員、官僚、一般市民の区別に関係なく、要は、民主主義および民主主義に則ったルールを尊重するすべての国民だということです。実際、国会議員にせよ、官僚にせよ、一般市民にせよ、安倍を批判して安倍から睨まれた人間のほとんどはそうした日本人だったのではないでしょうか。要するにそれが、「安倍は民主主義および民主主義に生きる国民を嫌っている(憎んでいる)」と言えるゆえんなのです。
というわけで、前回と今回のブログで、「安倍は国民をバカにしている」と「安倍は民主主義に生きる国民を嫌っている(憎んでいる)」といえる理由を述べてきました。要は、前々回のブログ(「安倍が「非情」×「恥知らず」ゆえに日本が酷くなっている具体例」)の最後のほうで述べたように、この二つを併せもっているからこそ安倍は、〝「厚顔無恥」「鉄面皮」でいつまでも首相の座に居座り続けていられるのだ〟というわけです。それが一応、前々回から続いている一連のブログの結論ということになります。