●〔安倍の政治哲学『国民は馬鹿である』〕
前回のブログの最後のほうで私は、「安倍は国民をバカにしていて、かつ憎んでいる」といった趣旨を述べました。そこで今回は、安倍が国民をバカにしている件について述べます。
以前のブログ(「総裁選に先立って知っておきたい安倍の残虐性・非人間性・執念深さ・卑劣さ」)のなかで私は、古賀茂明のコメントを特に参考にしていると述べました。が、安倍が国民をバカにしている件についてもそもそも古賀が指摘しています。氏は「日本中枢の狂謀」(2017年5月30出版)という本を書いているのですが、氏は、安倍政権が集団的自衛権の行使容認の閣議決定を行った約2週間後(2014年7月17日)に発信したものであると前置きして、下のツイートをその本のなかで紹介しています。
安倍さんの政治哲学 : 「国民は馬鹿である」
1.ものすごく怒っていても、時間が経てば忘れる
2.他にテーマを与えれば、気がそれる
3.嘘でも繰り返し断定口調で叫べば信じてしまう
私たちは、そんなに馬鹿なのでしょうか?
私はこれを見たとき、驚くと同時に古賀茂明はなんと洞察のするどい人なんだろうと改めて感心しました。というのも、うえの三本柱は、どれか一つではなく、まさにどれもが同じくらいの強度・頻度でもって安倍政権がよく実行していることを私自身も常々感じていたからです。
ところで氏は本書のなかでさらに、そのように言える具体例として安保法制の強行採決を例にとって説明しています。が、これを見ると三本柱のどれもがまさにピッタリと当てはまっていることがわかります。安保法強行採決により自民党の支持率がガタ落ちしてきた際に、ジャーナリストの青木理も、ある番組のなかで次のような趣旨を述べています。
「法案を通すのをなぜそんなに急ぐのか。説明すればするほど危険な法案だということが露わになってきてしまう。そうなるとますます支持率が下がってしまう。だから早くやってしまえと。国民は馬鹿なのでそのうちに忘れるだろうと。それを狙っている」。
●〔安倍周辺による『国民は時間がたてば忘れるだろう』発言〕
ところで、安保法案の強行採決から現在までに約4年が経過しているわけですが、その間の安倍政治をふりかえると、すべての場面で前掲の三本柱が応用されていることがわかります。すべての場面なので具体例を挙げるのは難しいのですが、強いて一つだけ挙げるとすれば、モリカケ問題もまさにそうです。野党からのモリカケ追及の場面を見ていても、まず安倍は、否定するにせよ肯定するにせよ、すべての場面において断定口調で答えていることがわかります。しかも前回のブログでも述べたとおり、安倍は追及から逃れるために突然、解散総選挙を行ないました。これなども安倍は、忘れやすく気のそれやすい国民性を意識して行なったことは明らかです。とにかく逃げ回ってさえおれば、バカな国民はそのうち熱も冷めて忘れるだろうという魂胆なのでしょう。いや、それは推測でもなんでもなく、実際、安倍周辺がそのように発言しているのです。下の画像がその証拠です。
これは安保法案強行採決を行なった直後の安倍周辺の声なのですが、この姿勢・考え方がそれ以降も貫かれていることは明らかです。2017年6月6日の、モーニングショー(テレビ朝日)のなかで実際、前出の青木理が、加計学園問題にかんして次のような趣旨を述べています。
「安倍政権は、森友学園問題で変な学習をしたところがあって、そもそも調査なんかするつもりはないんですよ。しないための理屈をいろいろ考えているだけ。このまま時が過ぎれば、直截な言い方をすれば、馬鹿な国民は忘れますよ、だからこのままやり過ごしましょうと。僕ら国民は馬鹿でいいんですか? ここで怒らなかったら悪しき前例(政府にとって都合の悪い資料が出てきても『調査しません』で終わる)が許されることになってしまいますよ」
というわけで、安倍が国民をバカにしている件の説明は以上です。次回のブログではさらに、安倍が国民を憎んでいることについて語りたいと思います。