自由党の小沢一郎は、ツイッター上でよく安倍を批判していますが、先日も、次のようにツイッターで批判していました。
安倍総理が講演で「大義の下で公平な行政を司る。これは総理として当たり前の責務だ」と述べたとのこと。御自分が何を言っているのか、わかっているのだろうか。それが一番できていないということの自覚はないのか。その総理が憲法改正の必要性を訴える。身の毛もよだつ夏の怪談どころの騒ぎではない。
小沢は、安倍の言行不一致に対して、「御自分が何を言っているのか、わかっているのだろうか。それが一番できていないということの自覚はないのか」と批判しているわけですが、長らく安倍の言動を見てきた私からすれば、安倍は、自身の言行不一致を、誰よりも一番わかっているのだろうと考えています。
というのも、安倍がこれまで発してきた美辞麗句やスローガンの数々は、そのどれも例外なく安倍の実際の行動と乖離しているものがほとんどです。と同時に安倍は、「薄情・嘘つき・恥知らず」ときています(ツイッター上などでよくいろいろな人がそのように言っています)。
要するに、安倍自身、自分の言行不一致をだれよりも一番わかっているからこそ、嘘つきかつ恥知らずな安倍は、その言行不一致をごまかす(国民を欺く)ために、実情とは真逆の美辞麗句やスローガンをまさしく用意周到に考案し、適宜、垂れ流してきたのだ、というわけなのです。
そもそも美辞麗句やスローガンは、〝実際できていないこと〟に対して努力目標として掲げるのが一般的であることからも、私のその推測は当たっていると思うのです。ただ、安倍の場合は前述のとおり、嘘つき・恥知らずときていますから、「努力するため」ではなく、「ごまかす(欺く)ため」になっているのです。そこがまさに安倍の汚いところであり、決して看過できないところなのですが、小沢一郎もそこに危機感を覚えたからこその今回の安倍批判なのだと思います。